Veritas liberabit vos

Ad augusta per angusta

田原総一朗氏 上杉隆氏を語る

2016年5月19日、憲政記念館にて行われた上杉隆君の名誉回復を祝う会にて田原総一朗さんが上杉隆さんへ贈った言葉を文字起こししました。

 
田原総一朗「上杉さんの名誉回復の会ってことで、もっと寂しい会かと思ったら、こんな大勢いらっしゃってて、何が今更名誉だって感じもしますが。
とにかく私は上杉さんと付き合って、一度も裏切られたことがない。とっても信用できる人物です。
それから、上杉さんがすごいのは、所謂、体制側、反体制側を問わず、自由に、非常に柔軟性を持って取材をする。この取材力が凄まじい。
で、この、動き。非常に自由に動けるこの機動力が素晴らしい。そこには非常に関心します。
 
元動画はこちら。
 
 

抹消された上杉隆さんにまつわる情報をサルベージしてみました。

生い立ち

義務教育以降の自立生活

  • 1984年高校進学を希望するものの、父•博通に中学卒業と同時の完全自立を命じられる。自宅で勉強をすることを父親が許さなかったため、勉強は学校ですべて終える必要があった。高校進学における受験料、入学料、学費、生活費のすべてを稼ぐ必要に迫られ、中学生であることを伏せて、早稲田のスーパーマーケット「三徳」、喫茶店「バタカップ」にてアルバイトをしていたことを明かし、生きるためとはいえ、年齢詐称をしていたことを公式ブログにて謝罪している。中学時代は連日連夜、人数不足となるたび父親の麻雀に付き合わされ、高校受験前夜にも麻雀を強要された時に、母•聖子が初めて怒っているところをみたという(出典;結果を求めない生き方)。その後4月、都立広尾高校の普通科に入学。なお、中学卒業後は実家にて一泊するたびに2000円を要求される状態にあったことから、寝床を確保する必要もあったという。
  • 1987年高校卒業後、様々なアルバイトをすることに。新宿のゴルフ練習場「落合ゴルフ」の球拾いを皮切りに、渋谷のカフェバー「タイムマシン」、居酒屋「すずめのお宿」、サントリー「ペンギン’Sバー」、早稲田のバー「沙羅」などでウエイター、高田馬場古本市の警備員、新宿の雀荘のビラ配り、建築コーティング会社の作業現場労働、群馬県のゴルフ場「ルーデンスカントリークラブ」のキャディ、「水上プリンスホテル」のスキー場スタッフ、新宿北郵便局の配達員、高田馬場のカラオケ店「ビックタイム」のデイタイムキャプテンとして人事労務管理、「すかいらーく」山中湖店のキッチンスタッフ、オーベルジュオーベルジュ•ブランシュ」の臨時スタッフ、中央高速道路の交通調査員、家庭教師、牛蒡農家での農作業などをしていた。また、大学の受験勉強の勉強道具は、先に大学へ入学した友人らが使用したものを送ってもらうよう頼み込み、郵送してもらったものを使用していたという。国公立の大学入学を目指し信州大学筑波大学を受験したものの、一次試験の数学で大失敗してしまい、途方にくれていたところ、市立である都留文科大学の存在を知り、願書を提出。なお、純文学を愛好していたため、信州大や筑波大同様文学研究をするつもりであった。願書を書き終えた時に英文科であったことに気がついたものの、疲れ果てており書き直す気力が出ず、英文科を受験し、入学。

大学時代からNHK勤務まで

  • 1988年入学後、大学にゴルフ部がなかったことからゴルフの出来る環境作りに奔走し、ゴルフ同好会を結成する。山中湖ホテルのパターコースの芝生の美しさに魅せられ、「あそこで練習させて欲しいのですが、その代わりに雑草抜きでも何でもします。できたらパターコースでアルバイトさせてほしいのです」「他の仕事でもかまいません。清掃でもベッドメーキングでも、皿洗いでもなんでもやります。いや、給料も要りません。その代わりゴルフの練習をさせてほしいのです」と使用させてもらうために交渉をし、一度は断られるも、翌日になって、働くことを条件に、大学へ通う前の早朝の使用許可を得る。かくして社員と同じ条件で富士屋ホテルチェーン「山中湖ホテル」の社員寮に入寮。非正規雇用ながら一部の社員より多くの給与と権限を付与されて勤務することとなり、自身のことを拾ってくれた当時の総支配人であった譲原尚行氏には感謝のしようがない、と語っている。
  • 1992年春、NHKを受験し、夏に内々定、秋には記者職として正式内定。なお、前年の受験では落ちており、新卒でなければ採用されない仕組みのためにわざと留年しており、この年の秋には単位を取得済みであったため、10月より来春採用予定者として、渋谷のNHKで非正規スタッフとして勤務を開始。朝のニュース番組『モーニング•ワイド』のリライター業務が担当であった。
  • 1993年3月、大学事務局が学内にコンピューターシステムを導入し、システムエラーによって30名ほどの学生が単位漏れとなり、そのうちの一人となる。該当単位であるドイツ語の教授は「授業にも出て単位は取得済みであり、卒業に問題は無い」とし、他の教授も当然に卒業を認めていた。しかし、地方国公立大学の事務局長には文部省からの天下り役人が就くことが決まっており、自らのミスをなかったこととするために『ルールはルールだから』といって学生側の問題にすり替えが行われ、3月の卒業権利を剥奪されている。そうした理由を理解していたNHKの担当者は「たとえば3ヶ月後に単位が取れるというのなら、6月にでも改めて正式採用することにしよう」とNHKへ掛け合った。しかし、大学事務局と学年主任教官は責任追及へ発展させないため、頑として認めなかった。こうした経緯によって、宙ぶらりんの身分のままNHK新番組「おはよう日本」にて働き続けることとなる。今井義典桜井ようこ黒田あゆみ草野満代平野啓子小谷真生子小平桂子アネット有働由美子らのアナウンス陣の傍で手伝うことが出来た経験を、自身のテレビメディアにおける仕事の得難い財産となったという。なかでも、澤田勝夫氏との出逢いだけは忘れられないと語っている。上杉氏にとって人生の恩人であり、『たとえ損をしても、曲がったことはすべきでないという姿勢を身を以て教えてくれた人生の師」であるとしている。

秘書時代

  • 1994年冬、鳩山邦夫事務所に入所。一度は不採用となったものの、しばらくして採用。直後の結党大会が議員秘書としての初仕事である。当時、同部屋の秘書は細川護煕事務所の松野頼久氏があり、他の事務所では最初の兄貴分にあたる。その後、自宅番、夫人の運転担当、代議士運転随行、国会担当、事務局次長、広報担当、報道担当などを歴任。5年後の都知事選出馬をもって円満退職(最終的には公設秘書)。上杉氏にとって唯一無二の「政治の師」は鳩山代議士一人であり、哲学、数学、自然科学、環境問題、食に関するこだわりまで、感謝しきれないほど多くのものを教わったとしている。なお、鳩山氏は2016年4月2日に生放送情報番組敦と隆の週刊リテラシーに出演した際、番組冒頭にて「彼はね、案外視野が広いんですよ。目が離れているでしょ、視野が広いんだよ、カメレオンみたいな感じで。」と評価している。

ニューヨークタイムズ東京支局時代

フリーランスとして独立するまで

学歴[編集]

職歴[編集]

人物[編集]

国内の大手マスメディアによる談合や横並び・画一報道の危険性を喚起している。記者クラブ問題と並び、官房機密費問題に対しても斬り込む。著書「ジャーナリズム崩壊」の中では「情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が日本のジャーナリズムを貶めている」「他人のものを盗まないのは当然」と指摘している。また、日本のメディアにOp-Ed(OppositeEditorial=社説の反対意見)という思想の多様性を担保するための機構が構築されていない状況を危惧し、誤報や煽動的な情報が流れた際に中庸性が確保できているとはいい難い形にならざるを得ない記者クラブの機構の死角を無くしていくことを求め、「多様な価値観」を座右の銘としている[4]

岩井俊二監督映画friend after 3.11において、「これからは上杉さんのことを信じることにします。と言われるんですね。止めてください、と、必ず。私も信じないで欲しい、と。それはたまたま合っていたんだけど、またこっちばっかり信じたら、同じことですよ。僕も間違えますし。NHKも、今回は間違っても、合っていることは多数あるわけです。個々の人達が、情報というのはいっぱいあるのだと、価値観は多様なのだと。そのいろいろな考えのもと、社会は形成されているんだということに気づけば…それが、その作業を何らかの形で手伝うのが、ひとつの、自分のやる仕事かなぁと思ったので」と発言している。

日本にはマスコミやジャーナリスト自身が自己検証・自己批判を行うことで中庸性を確保していく余地があるとして、リテラシーにまつわる倫理観を早急に整備してゆく必要性を訴えている(欧米では訂正欄が確立していて自己検証を行う)。また、日本では客観的報道と謳いながら特定政党を肯定する報道が行われることに苦言を呈しており、生身の人間が関わる以上100%中立性を保った報道は困難であることを謙虚に受け止め、米国の新聞のようにどの政党を支持するか表明して報道する必要があるのではないかと示唆している。その上で、「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと特定政党を支持するような記者を批判しており、記者も国民の一人なので特定の政治家や政党を支持するのは自由であるが、個人的思想を透明性を求められる報道に持ち込むのは避ける心構えが必要があると指摘している。

小学生時代は、新宿区内で軟式少年野球チームでサードを守り、キャプテンを務めていた。小学校6年生当時の夢は「野球選手」だったが、卒業アルバムに記すのに皆と同じでは面白くないと思い、兼高かおる世界の旅を観て世界を旅する職業に憧れ、「ジャーナリスト」と書いたという。しかし、中学校入学後はサッカー選手や講談社ブルーバックスに手が伸びすばる望遠鏡ゴルファーになりたいと考えていた。また小学校時代には書道で2回の入賞歴がある。

ゴルフが趣味であり、『ゴルフダイジェスト』などのゴルフ専門誌にも寄稿している。『ゴルフが本業、政治はときどき、を目指してます』と、ゴルフジャーナリストを自称することもある。大学時代には学内でゴルフサークルを設立、代表を務めた。

== 活動や発言について ==

ジャーナリズムの五大原則の提唱[編集]

情報の信憑性と質を高め、報道される側の反論権を保護するためにも、かねてから国内へのジャーナリズムの五大原則の導入を提唱している。

1、by line...バイライン(署名)を入れること

2、source...ソース(情報源)を可能な範囲で提示すること

3、credit...クレジット(引用•参照元)を示すこと

4、correction...コレクション(訂正欄)を設けること

5、op-ed...オプエド(社説の反対意見)を掲載すること


上記の内容は情報番組『敦と隆の週刊リテラシー」や自身のニューズ番組「オプエド」、自著「ネットでニュースを読むとバカになる」で何度も紹介されている内容である。

また、ジャーナリズム五大原則は、情報を扱う上で、以下のように活用することが出来る、と、ツイッター上で話題になる。

1、署名   これが無い情報を疑う

2、情報源  これが曖昧な情報を疑う

3、引用元  これが曖昧な情報を疑う

4、訂正欄  これがない情報は一方的である可能性がある

5、オプエド 異なる意見を考慮


そのことを踏まえ、「小中高の情報の授業の中へ、情報社会•ネット社会に安全に適応できるよう、上杉隆氏のジャーナリズム五原則を盛り込んで欲しい。ジャーナリズム五大原則に挙げられている点を押さえるだけで、国内の言論のレベルは飛躍的に上がっていく。指導要領の見直しより先に五原則を盛り込む方が国力も伸びるだろう。粗悪な量産記事や、裏取りの無い印象論ではない言論が必要である。上杉隆氏が提言しているジャーナリズム五原則を徹底していくと、結果的に我が国の倫理や道徳の問題まで整備されていく可能性がある。どういった情報に確度を認めるかについての基準が明確になるほど、ネット空間の情報は質によって振り分けられていく。信用度5つ星の情報にこそ価値がある。」といった視聴者の声がツイッター上にあがっており、長岡市議会議員の池田あきひろ議員はtwitter上で上杉氏の五大原則について視聴者が説明している呟きに対し「情報化社会において、大事な視点だと思います。自分自身も対応していきたいと思います。」と発信している。

東日本大震災の際にラジオでかけたアンパンマンマーチへの反響[編集]

2011年3月11日に発生した東日本大震災の直後、『これ以上、津波の映像をみたくない』という被災地の声を受け、上杉氏がラジオ番組TIME LINEでかけた「アンパンマンのマーチ」「上を向いて歩こう」「トトロのうた」「希望という名の光」「プリキュア」に励まされたという声が多く寄せられていた。3月13日の16:21に「アンパンマンのマーチ」をかけた時には、避難所の体育館に避難している母親からのメールが紹介され、「子ども達が体育館で笑い、踊っています」「今、こどもが踊っています。。」「子どもが笑うと救われる」「上杉隆さんの落ち着いた声に癒されます」「上杉隆メンのかけるアンパンマンのマーチに涙。優しさってこういうことかも」「上杉隆がMCしてラジオやってます。ラジコでも聴けます。テレビとは違った目線で放送してくれています。音楽を流して勇気を与えてくれています。これがグローバルスタンダードな報道なのかな。」「テレビの煽りのような報道に疲れちゃった人、TOKYO FMいいよ。ジャーナリスト上杉隆さんがずっとやってる。被災地で必要な音楽を流してる。上を向いて歩こうアンパンマンのマーチ等。老若男女に必要な音楽を。」「これは、マスメディアに属さない上杉さんならではだと思います。」こういった反響が多くあった。なお、14:15に「希望という名の光」16:00に「上を向いて歩こう」をかけている。 上杉氏は「子どもが笑えば大人は勇気が湧く」「それで、落ち込んだおじいちゃんには上を向いて歩こう、子どもたちにはアンパンマンの歌を、と。」という思いから、これらの曲をかけたことを打ち明けている。 2013年10月に当時のことを振り返った視聴者が「【メルトダウン】という言葉をどこよりも早く知った。【アンパンマンのマーチ】【希望という名の光】を被災地に向けて届け、【歌の力の強さ】を教えてくれた番組...忘れません」と当時の心境を発信している。(出典;twitter)

メルトダウン報道にまつわる集団ネットリンチ事件[編集]

2011年3月12日、上杉氏は原子力保安院からの発表に加え、福島第一原子力発電所•3号機の設計者である上原春男氏に確認を取り、福島原発炉心溶融(メルトダウン)している可能性を指摘した。このことで、菊池誠氏が「デマじゃないだす」と上杉氏を嘲笑する発言をしたことを皮切りに、江川紹子氏や小田嶋隆氏らが炎上を煽動した。なお、後述する2016年2月24日のメルトダウン基準発覚後、菊池誠氏は「一週間ほどいなくなります。ツイートもしないと思います。ていうか、たぶん見ないと思います。それでは、みなさんお元気で」と発信し、その姿勢をネット上で批判する声が多く上がっている。 江川紹子氏に至っては、ジャーナリストの常岡浩介氏に対して上杉氏への批判を強要し、常岡氏は「内容は、ます上杉さんを批判。続いて、『お前も、上杉を批判しろ』と意味不明な強要。それを拒否すると、今度は延々、僕に対する罵倒と、『上杉猊下ばんじゃーい』などの侮辱。他人が読んでいないところでは、こんな文を書く人だったのかと、衝撃を受けた。(中略)無名でビンボなぼくなら脅しに屈するだろうと思ったか」と発信している。 また、町山智浩氏は「わだば、プロのタカシハンターになる!」と発言し、「twitter タカシハンター」と銘打たれた、銃を持った町山氏が上杉氏を仕留める構図に「狙ったタカシは逃がさない」と書き込まれた画像を拡散し、ネット上での私刑を煽動した。しかし、後述するメルトダウン基準マニュアル発覚以降、当時の上杉氏への発言内容について再検証しはじめたアカウントに対し「単にもう関わりたくないだけです。あなたが毎日何回も私についてのツイートし続け、それを上杉隆がRTするので疲れています。私についてのツイートをもうやめてもらえると本当に助かります。そうしてもらえたら私は上杉について一切ツイートしませんのでお願いします。」と発言している。

2016年2月24日、新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会による調査から、東京電力社内に炉心溶融メルトダウンの判断基準を示すマニュアルが存在していたことが判明した。 また、「元NHKディレクターで、現在は自称経済学者の池田信夫氏は3月14日のブログで「メルトダウンは起こらない」と発言し、「メルトダウン(燃料の大部分が溶解した状態)と報じるジャーナリストらの発言を『デマ』であると吐き捨てています。デマはどちらであったのか答えは明らか」といった2016年4月11日、東京電力の岡村祐一原子力立地本部長代理が社内マニュアルに記載されている炉心溶融(メルトダウン)の判断基準を、事故当時、個人的な知識として把握していたことを明らかにした。「私は(メルトダウンの判断基準を)把握していたが、(事故当時は)直接状況をコントロールする立場ではなかった」と発言している。 高橋裕行氏は「福島第一原発炉心溶融の可能性はまずはじめに3月12日に原子力保安院から発表されている。上杉隆さんは、それをすぐにツイートで流した。そして各新聞でもその可能性は報道された。ところがその後、東電炉心溶融を否定。言葉を弄びながら5月15日になってやっと認める。初めは炉心溶融の可能性を報道したマスコミも、東電が否定してしまうとそこで追究をやめてしまい、今度はメルトダウンを疑う人々は上杉隆さんをはじめ、デマ扱いされる。しかし電源喪失による崩壊熱の上昇から炉心溶融が起きる可能性は、震災前から国会で共産党吉井英勝議員が追及していた。全電源喪失すれば原子炉を冷却できない。冷却できなければ崩壊熱により燃料は溶ける。その結果、炉心溶融が起きる。こんあことは専門家でなくともちょっと考えれば分かる。ところが、東電炉心溶融を認める5月中旬まで、炉心溶融メルトダウンを口にする者はデマゴーグ扱いされた。」と発言している。(出典;twitter )

なお、2016年2月24日のメルトダウン基準マニュアル発覚の報を受けて、5年間に及び明確な悪意をもって誹謗中傷を受けてきた上杉氏に対し、元週刊朝日編集長である山口一臣が名義人として、2016年5月19日に「上杉隆君の名誉回復を祝う会」が憲政会館で開催することとなった。発起人には鳩山邦夫田原総一郎三枝成彰加瀬英明、西川伸一、團紀彦、小沢一郎中尾ミエ鳩山由紀夫、松井清人、玉木正之、吹浦忠正、坂本正弘、鈴木宗男奥田瑛二下村満子、勝俣伸(富士屋ホテル代表取締役)、猪瀬直樹鈴木隆道、蟹瀬誠一、和田秀樹吉田照美、宮内章、中村信隆、藤本順一、鈴木邦子、味方泰宏、古賀茂明、安藤和津、大貫康夫、吉崎達彦桐島ローランド紀里谷和明堀江貴文、宮城泰年、大宅映子、波頭亮重村智計佐藤栄佐久、今川憲英、松沢成文井沢元彦古川元久馬淵澄夫原口一博川内博史北澤俊美木内孝胤寺脇研、蟹瀬令子、藤田幸久重信メイ、田村尚之、梅本龍一、長田渚左、野村誠一木村三浩、武藤真澄、Kダブシャイン、高井英樹、大川貴史、神領貢、佐藤潤一田中康夫、タケ小山、室井佑月、ハワード•フレンチ、がいる。(出典;上杉隆事務所公式ウェブサイト)

原口一博議員による東日本大震災以降の上杉隆パージへの発言[編集]

2016年4月27日のニューズ•オプエド出演の際、原口一博議員が「東電の発表の嘘を上杉さんずっと追究したんですよ。それを邪魔した記者がいっぱいいたんですよ。あの、メルトダウンしてるんじゃないかと言うことも、一番最初に上杉さんが言って、『いや、違います』と。で、汚染水を海に流してるんじゃないかと、『そんなことありません』と。全部、事実だった、ですね。それを、僕も言われたんですよ。上杉隆と付き合うとお前も嘘つきだと言われるからやめろと。どれだけ言われたか。でも、それでも、(上杉氏が)【今だけ金だけ自分だけ】じゃないから、みんなが、ああ上杉さんの言うことは本当だ、と、今は証明されましたよ。」と発言している。(出典;インターネット情報番組「ニューズ•オプエド」2016年4月27日放送)

 

TVが原発事故後に住民を置いて30km圏内から逃げたと発言しデマ扱いされるも、5年後に事実であったことが証明される[編集]

2016年3月7日、テレビ朝日福島放送制作の番組テレメンタリーにて「その時、『テレビ』は逃げた』が報道され、上杉氏の発言が事実であったことが証明された。

「福島・郡山に人は住めない」というミスリードのためにバッシングを受ける[編集]

2012年3月14日付の夕刊フジに掲載された記事の見出し「福島・郡山に人は住めない」は、上杉の発言ではなく、記事を執筆した者が付けたタイトルである。実際には上杉氏が発言したのは「福島市郡山市には人が住めないほどの高線量のスポットもある。」というものである。この印象誘導によって、上杉氏は各方面から猛烈なバッシングを受けることとなった。後に夕刊フジは、この発言は実際にはなかったと、紙面で訂正している。

不正測定されているという指摘がデマであると拡散される[編集]

また福島市役所前の空間線量が「福島民報」や「福島民友」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、郡山市役所前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われているのではないかと報じた。2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0 - 1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている[5]。この報道によって、上杉氏は江川紹子菊池誠らから「デマ発言である」とされ、彼らは自らの支持者を煽動する形で上杉氏をネット上で吊るし上げている。 

なお、この問題は2012年10月5日に、矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授が記者会見にて「放射能モニタリングポストの実態調査」という調査結果を報告。調査報告書には「本検証委員会の文科省設置のモニタリングポストの実地確認では、ほぼ90%以上の設置場所で除染が施されていました(矢ケ崎,2012)」とある。同年10月6日、記者会見内容として「値を低く見せるために、モニタリングポストの周りは除染を徹底したり、数値を操作しているのではないか(朝日新聞,2012)」という発言が取り上げられている。

ジャーナリスト抹殺未遂事件について①

そもそもこのブログを立ち上げるに至った端緒は、twitter上での悪評と、上杉隆氏が代表を務めているNOBORDERが配信しているインターネット番組オプエドhttps://op-ed.jp/ から受ける上杉隆そのひとの印象があまりに乖離していることを訝しく思った筆者が、氏の著作や動画内容を検証し始めたことによる。

 

上杉氏の発信内容と世間からの評価の齟齬や力関係を検証していくほど、上杉氏がどれほど陰惨な手口にしてやられ、五年もの歳月、いわれのない中傷によって嘲笑され、貶められてこられたのかということが浮き彫りとなったため、居たたまれない思いで筆を執っている。

 

そして、この事件の構造を見抜けず(今も途上ではあるが)に見過ごしてきてしまったかつての己の無関心を恥じると共に、明らかな意図をもって大衆心理を煽動され、抹殺されてきた、上杉隆という、愚直なまでに実直にジャーナリズムに向き合い続けてきた一人のジャーナリストが正当に再評価される日が訪れることを願い、ささやかながら当ブログ上でこの事件の構造の可視化を試みることとした。(まとまった文章を記すのは大学時代ぶりであるし、本業が言論界隈ではない上、検証に取り組むのは初めてなため、読みにくい点が多くみられると思われるが、その点はご容赦願いたい。)

 

震災以降、排他性を増している我が国の大手メディアや言論空間には、いつになれば自浄作用が働き始めるのだろうか。その日の訪れは、ひょっとしたらこの拙いブログをご覧いただいた一人一人の「言葉」によってもたらされるのかもしれない。そんな言葉を紡ぐのは身の丈を知らない愚か者の世迷い言だと、これを読む貴方は笑うだろうか。しかし、いつの時代のどのような革命であれ、一つの巡り逢いから時代の変化は始まってゆくものであったはずだ。私は、このブログを読んでいるあなたと、ネットという仮想空間を通して、匿名ながら、ちゃんと巡り逢いたいのだ。そして、ささやかながら、私に託すべき言葉があるとするのなら、それを力一杯手繰り寄せて、贈れることを切に願っている。

 

※事前に断りを入れておきたいのは、私の敬愛する知人の中には、情熱を持って素晴らしい番組を作り続けておられるテレビ関係者の方や、気骨ある記事を書き続けておられる記者の方々があり、それぞれの持ち場で過酷な仕事をしてくださっているマスコミ関係者の方々の事を、深く尊敬しているということ。

そして、このブログの根底にある精神はあくまで「罪は憎めど人は憎まず」であり、特定の個人を誹謗中傷するために綴っているわけではないことを明白にしておく。本件に関して個人の名前がいくつか挙げられるが、彼らの全てを否定しているわけではなく、あくまで上杉隆氏に対する【度が過ぎた行為】に限定して言及し、明らかにする立場にあることを表明する。

 

 

 

 

それでは早速だが、ショーンK氏の経歴詐称のニュースから飛び火したことで私の目に留まった「上杉隆氏の経歴詐称疑惑」を入り口に、「メルトダウン報道デマ疑惑」をほんの少し齧りつつ、上杉隆氏という人物が今も現在進行形で受難し続けている現象についての見解を述べていきたい。

 

上杉隆氏にまつわる経歴詐称疑惑デマを流布した狙い】とは【自著において詳らかにされている経歴について毎回長々と説明をしろという非現実的な対応を強要するだけでなく、内定勤務であっても正社員でなければ、東京地裁から認定された2年半に及ぶ勤務実績があろうと、職歴詐称であるのだとレッテルを貼ることが目的であった】といえる。

 

今後も別の記事で追記していくことになってゆくだろうが、何分この上杉隆という人物は、気の毒なほど信じられないようなトラブルを受難することが多く、とかく人からの誤解を受け易いところがあるのだ。

 

例えば「1、交通事故で複雑骨折をしたために松葉杖をついた若者が優先席に座っていた」という表現と、「2、優先席に若者が座っていた」という表現では、読み手が受け取る印象や若者への風当たりと言うものはまるっきり違ってくるのだが、アンチ上杉の諸氏は1の発言の因果関係をごっそり切り離し、2、つまり「あいつは若者なのに優先席に座っていた人物ですよ」と結論づけ、高らかと勝利宣言をあげ、吊るし上げをする手法を好んで用いているのだ。なんと乱暴な論法であろうか。

 

こうなると、然るべき理由があったとはいえ、座っていたことは事実なので、若者は座ったのかと質問をされれば、そうだと答えることしか出来ない。そしてそのように答えた瞬間、そらみろこいつはクロだ!!と叫ばれたが最後、若者は邪推の渦に沈められ、世論は石を投げ始めることになるわけだが、ここまでくれば辺り一面、若者の声など掻き消されるほどの乱痴気騒ぎである。

 

そして、事情も知らない道ゆく人々は「石を投げられるってことは極悪人なんだな」という発想から「極悪人なのだから再発防止のためにこの石つぶてを投げておこう」とか「あのひとは極悪人らしいから関わらないようにしよう」といった具合に、若者が徹底して否定される土壌が完成するのだ。

 

一連の上杉隆叩きには上記のような構造での印象操作がおそろしく幅を利かせている。このような印象操作があるのだということまで正確に踏まえた上で上杉氏の発言に触れられる人物でなければ、上杉隆氏の言葉が届かなくなる環境を、彼らは連携しながら巧妙に築き上げたのである。

 

そのため、私自身は、上杉氏の発言は前後の文脈を可能な限り削がないスタイルで、シンプルに考察していくつもりでいる。上杉氏の場合、卒業の年に大学の事務局にコンピューターが導入され、30名ほどの学生が不具合で単位漏れとなったという経緯があり、自著において下記のように綴っている。

 

「不幸なことにその中で数名、卒業に直接影響してしまう学生がいました。そう、私はそのうちのひとりとなってしまったわけです。

ただ、ドイツ語の担当教授は授業にも出て単位も取得済、一切問題ないと言って、他の教授も当然に卒業を認めてくれていました。なにしろ大学側のミスなのです。ところが世間はそれほど甘くはなかった。私は本当の役人根性というものを知らなかったのです。地方の国公立大学の事務局長には文部省からの天下り役人が就くことが決まっていました。その大学が自分たちのミスを隠すために『ルールはルールだから』として学生側の問題にすり替えたのです。信じられない思いでした。

そのため、3月には卒業できないことになってしまいました。でも、そうした理由をNHKのSさんは十分に理解を示してくれて、たとえば3ヶ月後に単位が取れるというのであるならば、6月にでも改めて正式採用することにしよう、と、掛け合ってくれたのです。ところが大学事務局と学年主任担当教官は自分のミスを隠すために、頑として譲りません。

そうした事情を抱えながら、そのまま4月1日を迎え、私の身分は宙ぶらりんのままNHKで働き続けることになりました」

 

以上のように、上杉隆氏は、2010年の時点できちんと、全て、正確かつ詳細に、包み隠さずに自著「結果を求めない生き方」に職歴を書き記しているのだ。インターネット上に経歴詐称デマを流布した諸氏は、よくぞここまで印象を歪曲させたものだなあと驚愕する。

 

考えてもみてほしい。とうの昔に懇切丁寧に噛み砕いて語りつくし、公然の情報…つまり個人が開示することの出来うる最大級の発信の場である公の出版物をもってソースを提供した内容を、番組に出演する度、著作を刊行するたびに毎回毎回説明せよというのは、あまりにも非現実的な、いき過ぎた要求ではないだろうか。

 

そのような説明の尺をもらうことなど出来ない中で、公の出版物の中で自身の過去を赤裸々に公開し、説明義務を公的に果たしてある上杉氏に、これ以上何ができたというのだろうか。

 

池田信夫氏や江川紹子氏、町山智浩氏や小田嶋隆氏等のしてきた行為とは、公にされている事実確認の裏取りをすることさえ怠りTVや著作において「争点となる本題を討論する尺のため、短縮して説明した時のソース」を切り取っては、下劣な表現で上杉氏をこき下ろして大騒ぎしていたに過ぎない。

 

多くの大衆に影響力を持つ言論人を標榜しながら、下調べさえ怠るその職業倫理の低さと、驕りきった姿勢と怠慢によって、一人の人間を数の暴力でもって卑しめ続けてきた点に対して、静かな怒りが込み上げてくることを禁じ得ない。

 

 

ちなみに。これは蛇足だが、上杉氏の著作は2016年現在で共著を含めて35を超えており、タイトルだけでも巻末の経歴欄が埋まるほどの冊数がある。そのため、著作によってはベストセラーのタイトルさえ経歴欄に書き記さないものも存在している。そもそも、経歴欄とは短いセンテンスによって他の作品を知らせたり現在の動向のPRをすることのできる貴重な枠である。既に公の場でつまびらかにしてある職歴の説明にその貴重な枠を毎度用いさせねば気が済まないというのならば、それはおそらく上杉氏の問題ではなく、異常に執着して私刑を繰り返し続けている相手方の気質(

小倉秀夫 on Twitter: "ジャーナリスト様には難しすぎたようです。RT @uncorrelated: @Hideo_Ogura氏は、批判者が相手が死ぬまで追いかける気質では無いかと危惧しているだけで、別に上杉氏が死ぬ必要があるとは言っていない。 http://t.co/Qdr5BLiidS"

)を心配した方が良いのではないだろうかと筆者は推察している。

 

そもそも、上杉氏が箔を付けるために経歴詐称をするような虚栄心の強い人物であるならば、「結果を求めない生き方」「小泉の勝利 メディアの敗北」などといった失敗談だらけの本(華麗な虚像を作るには余りにも泥臭く、地道な内容であった)を出版するのでは、辻褄が合わない。隠すつもりがあるならば、過去の話はなんとしてもすり替えて回避しようとするだろう。そして政治家秘書時代に叩き込まれたであろう霞ヶ関論法を駆使して「うまく」やり、今頃多くの既得権益層と懇ろになり、ちやほやされていたのではないだろうか。

 

上杉氏がNHKで二年半に及ぶ勤務実績があることは東京地裁で証明されており、ニューヨークタイムズで45日間のインターン期間を経てリサーチャー(取材記者)をしてきたことについても、自著並びに公式ブログにてhttp://lineblog.me/uesugitakashi/archives/2003412.html 公表済みである。

 

詳細については、ネット空間で上杉氏が轢き回されるよりも前に刊行された著作「結果を求めない生き方」を読み進めていけば明らかな事である。池田信夫氏や石井孝明氏に加え、上杉氏に粘着したトロールたちは、これだけ誠実に書き上げてきたソースはなかったこととして、文脈をぶった切って引用し、誇大表現だの詐称だのと主張してきたのだから恐れ入る。

 

 

さらに追究を続ける。

 

多すぎる情報量に食指が動かなくなる体験は、誰もがした事があるだろう。誰もが、ソースを開く前に、その情報元の評価や口コミによってその信憑性をはかり、読む前に無意識に取捨選択を行う事で事前に「ハズレ情報」を避ける時代となっている。

 

このように情報の飽和した社会様相の下で、twitter2ちゃんねるなどの、発信に時間を要さないツールを用いて先入観を植え付けられ、印象を歪曲するよう誘導する方向に先手を打たれてしまえば、ネット空間で血祭りにあげられるよりも前に馬鹿正直に刊行した著作があったとしても、そもそもの著作まで読者が辿り着かなくなってしまう。

 

そうやって巧妙に声を上げる場を奪われてゆき、周りから狼少年として扱われていったとき、人はどうなるか。おそらく、誰にも自分の言葉など届かないのだと思って閉口するか、周りからウケるだろう立ち回りを始めるか、掻き消されてしまわぬように声を荒げることくらいしかできないだろう。例に漏れず、上杉氏はそうして声を荒げざるを得ない状況を作り上げられ、言葉の粗を生じさせられたところを丁寧に収穫され、前後の文脈を断ち切って切り出したソースを拡散されたことによって、見事に印象を誘導されていった。

 

さらに恐ろしいのは、江川紹子氏に及んでは、上杉氏への支持や関係があることを表明をした者に対してまで、関係を断ち切るよう介入してきたのである。一連の状況について、ジャーナリストの常岡浩介氏や弁護士の小倉秀夫さんが言及しているツイートがあるため、下記に添付しておくとする。

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

 

 

 

こうして、後ろ盾無くフリーランスとして活動している上杉氏を擁護する者が現れようものなら、その人物や周りの人間関係まで干渉されたり、ネットトロールからの破綻した質問攻めや否定の言葉によって粘着される可能性を臭わせた結果、上杉氏を孤立無縁の状況に陥れるための空気は見事に完成した。(事実、私自身、本当ならば実名でこのブログを綴りたい思いを圧し殺し、こうしてハンドルネームでの記述をせざるを得ない状況にあることは大変に不本意であり、そのことが悔しくてならないし、五年に及んで矢面に立ち続けた上杉氏の闘いを思うと、安全圏から記述している自身を不甲斐なく思っている。)

 

かくして、メルトダウンデマや経歴詐称デマをはじめとする悪質な印象操作によって、東日本大震災以降、上杉隆氏の発言の場はことごとく剥奪されていった。「ジャーナリストである上杉隆」は、文字通り、声を奪われ、言葉をも奪われたのだ。こうして上杉隆氏の言葉は封殺され、マスメディアで登壇する機会を奪われた上杉氏の言葉は効果的に無力化され、市井の人々との繋がりだけでなく、支持者との表立った縁の数々までもが断ち切られていったのだ。

 

 

 

 

願わくば、心ある諸氏には、上杉氏の身に降り掛かった、この常軌を逸した攻撃の実態を、可能な範囲で世に知らせていただきたい。検証を重ねるほどに浮かび上がって来るのは、上杉隆というジャーナリストが、お金にも名誉にも靡くことのない頑固さと不器用さを捨てられず、自身の発信内容を5年もかけて検証し直して訂正部分を周知するための本(小泉の勝利 メディアの敗北 2006年)を出版するような…それほど愚直に、言葉と発信に向き合ってきた人物であるということなのである。

 

上杉氏は存命ではあるが、この人物が、ジャーナリストである以前にひとりの人間であり、この一連の印象操作事件によって、多くの仕事や人間関係や可能性を断ち切られ、奪われただけでなく、日本中から悪意を向けられながら、2016年2月末に東電メルトダウン判定基準のマニュアルが存在していたことを公表したことで汚名を返上するまで、絶え間ない人格否定と罵詈雑言と中傷によるネット拷問に晒されながらも、当該のツイートを削除することもなく孤独に闘い続けてきたのだということを、忘れてはならない。そして、こうして毀損された名誉が回復されるためには、心ある諸氏ひとつひとつの応援が何よりも大きな力となっていくのだということ…ひとりひとりの声は決して無力ではなく、確かな力そのものであるということを、どうか覚えていていただきたい。

 

上杉隆氏の発信内容の再検証と、氏の一日も早い名誉の回復を、心より祈っている。(検証は続く)

 

 

 

花筏 拝

 

 

 

 

 

◇追伸◇

 

上杉隆事務所の方や、NORBORDERの方々、そして上杉さんを支持しておられる方々へ。

 

本ブログの内容が、上杉隆氏の名誉回復の一助となれましたら光栄です。

 

稚拙な文章で恐縮ではありますが、万一有用そうなセンテンスがございましたらば、本ブログの内容をご自由に活用してくださいませ。

 

 

 

上杉隆さん 岩村俊二監督「friends after 3.11」出演箇所文字起こし

動画で確認できない方のために、上杉隆氏の出演箇所を文字起こししました。

 

以下、岩村俊二監督「friends after 3.11」より。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

岩村「この間朝まで生テレビに観てたんですけど、あれ、また異様な空間になってますよね」

 

上杉「そうですね。孤立してるっていうか、与野党連立側で攻められた感じですけど。基本的にはですね、出ていて改めて認識したのは、日本の政治家もそうですし、後はメディアの人、当然ながら。それからまあ、ある意味、世論を形成しているようなオピニオンリーダーたちも出てくるんですけど…放射能に対する認識っていうのは 現状認識っていうのが甘いというのを通り越して、全くわかっていないんだなあと言うのが びっくりしたんですよね」

 

岩村「そうですよね」

 

上杉「こと放射能のこの事故に関しての情報というのは日本全体が…情報を扱うトップクラスの人たちですら、あの程度の認識ということにびっくりしました。例えば田原さんとか、大塚耕平厚生労働副大臣副大臣などが…まあ所轄ですけど、放射能の放出がまだ続いているということの認識を。知らなかったという事に。」

 

岩村「そうですね。止まってるって言ってましたよね。」

 

上杉「びっくりしましたよね」

 

岩村「放射能はもう出ていないって言ってましたね」

 

上杉「ええ」

 

岩村「でも上杉さんが何か言うと、公共の電波なんだから、一体それはどこから出た情報なんだね、みたいにね」

 

上杉「あれは、最初の時は大塚さんがいって。公共の電波でそういう不確かな情報は言っちゃ行けませんよ、って言ったんですけど、それは野田さんとは前原さんなどが、要するにフロント企業暴力団献金を受けていると。それについて追究されたんだから、政治とカネの問題、説明責任というものを自ら晴らした方が良いんじゃないかないかって言ったんですが、それ根拠は実は衆議院の委員会なんですよ。」

 

岩村「ええ」

 

上杉「国会で自民党の西田さんがずっと追求してきたことを、私はたまたまそれを言っただけなんですけど、びっくりするのはそのことも知らないんですよ、国会議員なのに。」

 

岩村「そうなんですね」

 

上杉「で、テレビ、メディア、西田さんが追求したフロント献金を、当時の前原さんとか野田さんに追究していたのを…追究したときにその委員会で、ついでにこんな話もありますよって言ったのが、あの、いわゆる外国人献金。外国人献金はサブで、メインはフロント献金だったんですよ。額も大きいですし。そしたら一斉に、まあメディアの特性でしょうけど、そこの暴力団の方ではなくて、いわゆる焼肉屋のおばちゃんからの献金だけを取り上げて、それで有耶無耶にしてしまったと。」

 

岩村「放射能止まったっていう、そっちのほうがなんか、公共の電波でこんな事言っちゃっていいのかっていう話ですよね」

 

上杉「そうですよね。でも本気で思ってるんですよね。。。もう原発事故以降何人も作業員が亡くなっているんですね。怪我をした人もいる。被爆した人も。それから、とにかく、何十万人という方がやはり今回の原発事故によって避難を余儀なくされたり、普通の生活に影響が与えられたわけなんで、単純に言って業務上過失致死傷というか業務上のミスじゃないかと、みてもいいんですが、不思議なのは、誰一人東京電力に捜査が入るっていう質問をしないですし、実際に入ってませんし、記者は全員ですね、お上の情報は正しい、という前提で報じてしまうので、それをそのまま報じると。放射能は安全です。格納容器は健全です。ただちに健康に被害はありません、と。NHKさん、朝日さん、共に放射能は出ていないと言ってるんだったら、こっちもそうしよう、と。仮に出ていたとしても、それは自分たちだけじゃないんだ、と。政府の方が言ったんだから、自分のせいじゃないよ、という。勝手に免責される、と。報道の人たち、なんで放射能のこと報じないんだと。まあ300人位東京電力に来てますから。これを報じないというのはこれはメディアの自殺行為っていう…貴方達、良心の呵責に苛まされる事がないのかと。人間として、おかしくないかと。自分達の子どもと奥さんだけはさっさと逃がして。知ってんじゃないか、と情報を。なんで言わないんだと。要するに、危機に直面したダチョウは砂の中に頭を突っ込む、という諺があるんですね。ダチョウはたしかにその時は危機を回避したように見えますが、事態はなんら好転しないにもかかわらず、現実から目を離す事によって危機回避、ダメージを回避しようとするという、最もやってはいけない、ダメージコントロールの中で。で、それが、今回の震災でまさに起こってしまったと。」

 

岩村「まあ今も問題は山積みで。福島もこの間も160数倍っていう数字が出ていましたけど、広島原爆の。」

 

上杉「ああ、そうですねチェルノブイリは65倍位だから、完全に超えましたよねこれで、広島…。でもそれを隠蔽してたっていうのもそうですけど、そしてメディアも間違えたんですよね、最初の情報が。だったらまずね、謝んなきゃいけない。恥ずかしくなかったら3月11日12日13日からの一週間の記事をもう一回紙面に載せることができるかと貴方達は、と。そこは問いたいですね。というのは、同じ物を報じてくださいと、そして私たちは合ってました、と、胸を張っていることができるかと。できないわけですよね、全部(なお、この表現については後日上杉氏は訂正文を公示して正式に表現を改めており、自らの主張を実践している。参考URLはhttp://uesugitakashi.com/?p=2138 )嘘だったわけですから。」

 

岩村「うん」

 

上杉「それをでもやんないと、厳しいですけど、タイムズも含めてジャーナリズムの最初の要諦として僕でも習ったのは、自分の不都合な情報を出す勇気と覚悟ですよね。やっぱり自分はこう書いたけど間違えていた、と。でも、出す。それが読者を向いているということなんで。やっぱり自分はどうでもいいんで。そこの情報に対して真摯、であることですよね。自分の肩書きとか、メディアに対して忠誠を誓わないで、真実に対して忠誠を誓うっていう唯一の職業ですから、そこは。それを日本の記者の一人でも、そろそろやってくれないと…ええ、本当に困るかなぁ、と。思ったんですけど、やらないんで自分でやってるんですけどね」

 

岩村「上杉さんとかもっと両方のメディアの中心にいって良いんじゃないか、って思うんですけど、実際は番組から干されたりっていうのが」

 

上杉「きれいに干されてますね」

 

岩村「激しくあるわけですよね」

 

上杉「ええ。もう、自分たちは正しいんだっていうのがあるわけですね。それをなんだあの上杉みたいな、自由報道協会みたいな、フリーランスらがぎゃーぎゃー言ってるんだと。自分たちに逆らう奴らだ、という認識で排除してしまって、多様なそういう情報というのを自ら消してしまって。で、先に進めない、と。」

 

岩村「上杉隆引退説っていうのもあるんですけど」

 

上杉「休業です…あー私朝日新聞信じたのに、学生の頃から天声人語試験に出ると思って覚えていたのに、この朝日を信じて生きてきたこの人生、これを間違えたら、何を信じたら良いの?ってなってるひとがいっぱいいるんですよ、今。で、それが誤報を出したと。何を信じたら良いかと思っていたら、自由報道協会のニュースのHPに来ました、フリーランスの皆さんのやってたことが合ってました、ありがとうございます、これからは上杉さんを信じることにします、というふうに言われるんですね。やめてください、と、必ず。私も信じないでほしい、と。それはたまたま合ってたんたけど、またこっちばっかり信じたら、同じ事ですよ。僕も間違えますし。NHKも、今回は間違えても合ってる事は多数あるわけです。個々の人たちが、情報というのはいっぱいあるんだと、価値観は多様なのだと。その色んな考えのもと、社会は形成されているんだということに気づけば、それが、その作業を何らかの形で手伝うのが、ひとつの自分のやる仕事かなぁと思ったんで。そして僕自身も十二年間ぐらい記者クラブ問題やってきたけど、ここの部分まで到達したという、ある意味、満足感というかカタルシスというか、そういうものはあるんですよ。これは…よかったかな、と。同時に十二年間やってきた自分の記者クラブ解放運動じゃないですけど、まあそれのスタートについたんで、もう自分がやる必要ないわけですよ。みんながやってるわけですから。だから、役割がある意味終わったのかなぁ…というのはあるんで、それは、そういう部分は胸を張って退場する方が良いかなと。そこの部分の作業に関しては。」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

下記URLの動画にて26分から、上杉隆氏が発言している。

日本の政治家・メディア・世論を形成する人たちの、放射能に対する現状認識が「甘い」を通り越して「まったく分かっていない」/上杉隆(フリージャーナリスト)編 – @動画

 

なお、テレビ朝日にて2011年3月当時の記者の働きを検証する番組が2016年3月7日に放送されている。

「“3.11”を忘れない61
その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」

過去の放送 |テレビ朝日|テレメンタリー

f:id:hanaikada330:20160326153303j:plain(写真は番組HPより引用)

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ちなみに、2月24日、東京電力が社内マニュアルにメルトダウンの基準が明記されていたことを認めている。

福島原発のメルトダウンに関し上杉隆氏が「汚名返上」 - 夕刊アメーバニュース

yukan-news.ameba.jp

f:id:hanaikada330:20160327222322p:plain

f:id:hanaikada330:20160327222340p:plain

 

 

原発設計者の一人である佐賀大学の教授に確認し、原子力保安院の発表を踏まえた上でメルトダウンの可能性を言及した上杉隆さんは、出演番組を降ろされるのみにとどまらす、多くの著名人(「タカシハンター」を自称して私刑を煽動した町山智浩氏や小田嶋隆氏、「メルトダウンじゃないだす」発言の菊池誠氏、「ジャーナリストを自称している身でありながら、裏取りも取らず2ちゃんねるソースを根拠に上杉氏の名誉を毀損し、証拠不十分として敗訴した」池田信夫氏)や匿名アカウントから「デマ」扱いをされましたが、このニュースによって汚名は返上されています

 

※補足として。 国際的には、ジャーナリスト(journalist)とは自ら取材をして、その内容をメディア等を介して発表することを生業としている者を指す肩書きであり、専門の分野において事実やデータを分析•評価して評論する者は評論家(analyst)、編集権を持ち扱うニュースを決め、時間配分なども決める権限を持つ者はキャスター(caster)という。このため、我が国においては、厳密にはこれらの肩書きを横文字の意味において満たしていないケースが多い。

 

なお、一連の #ジャーナリスト抹殺未遂 騒動に関しては下記まとめサイトが詳しい。

「上杉隆 汚名返上」ネタに噛み付くクラスタに対する反応まとめ - Togetterまとめ

 

 

 

 

大手メディアによって、上杉隆さんの発言内容が再検証されていくことを切に願います。